大和朝廷の謎?No.2 飛鳥の石造物
⏳飛鳥地方の石造物
飛鳥の石造物(あすかのせきぞうぶつ)は、奈良県飛鳥地方(現在の明日香村を中心とした地域)およびその周辺に残る、飛鳥時代に石で作られた遺物・遺構の総称。(Wikipediaから抜粋)
花崗岩のものが多いというが、一体何のために、誰がつくった物なのか?古墳の石室の一部と思われるものもある。#世界遺産 #百舌・古市古墳群 との関係も出てくるのか。想像の域を出ないが、、、飛鳥の地に立ち、あれこれ考えるだけで楽しい。
⏳飛鳥時代
推古天皇の即位した6世紀終わりから、元明女帝が平城京に遷都した710年までのおよそ100年間の期間。
この飛鳥の地に、今も見ることができる石造物は飛鳥時代に作られたものなのか。
⏳現存する飛鳥石造物
飛鳥には、今や『飛鳥の顔』とも言える亀石をはじめ、猿石、橘寺の二面石、亀形石造物など、石造物がたくさんある。
今回は、以下の石造物たちに焦点を当てて考察してみよう。
1 亀石
2 鬼の雪隠、鬼の俎板(おにのせっち ん、おにのまないた)
3 橘寺の二面石
4 石舞台古墳
⏳1 亀石
川原寺の所有地を示すために設置された説、亀ではなくてカエルという説などあるが不明のようだ。設置の年代は、6世紀中頃の仏教伝来以前という説もある。ここでは、とりあえず、6世紀後半から7世紀前半としておこう。
亀石の伝説にも触れておこう!
「その昔、奈良盆地が池だった時に、 川原の鯰(ナマズ)と当麻の蛇(ヘビ)が池の水をめぐって争った。
鯰が負けて池の水を蛇に取られてしまい、そのため、多くの亀が干上がって死んでしまったという。 その供養のために、この亀石が作られたという。
そしてこの先、亀石が当麻の方向(西)を向くことがあったなら、奈良盆地は再び池になってしまうという。」
⏳2 鬼の雪隠、鬼の俎板(おにのせっちん、おにのまないた)
なにぶん、発掘調査が行われていないので時代が特定できないようだ。古墳時代(3世紀中葉〜7世紀末)の後期という説がある。
他の説として、
大化の改新(645年?)の翌年に天智天皇の第一皇子、持統天皇の実弟である建王と、彼の祖母である斉明天皇が合葬された可能性が高いという説もある。古墳作りに使われたものであれば、石舞台と同様に古墳の石室に使われたものだと考えられる。この説だと7世紀中頃となる。
⏳3 橘寺の二面石
二面石は、橘寺の本堂の横にある。写真の本堂の左手の奥だ。人の心の善と悪の両面を表していると言われている。その姿形から猿石と同じところから切り出され作られたものと考えられている。猿石と同じ時代ということであれば、7世紀か。橘寺の建立は不明だが、本格的な造営が7世紀中葉以降(Wikipedia)だとすると、、このブログでは、同時期の7世紀中期以降と考える。
⏳4 石舞台
横穴式石室の古墳。覆っていた土がなくなって、石室を造る石がむき出しとなっている。石舞台から道路を挟んだ畑の土手から、無料で見れるのがありがたい!写真はそこからのもの。蘇我馬子の墓であれば626年に亡くなっているので7世紀前半に造られたものとなる。
⏳飛鳥のロマン
以上のことから独断で、製作順番を考えると、
1 亀石 6世紀後半から7世紀前半
2 石舞台古墳 7世紀前半
3 橘寺の二面石 7世紀中期以降
4 鬼の雪隠、鬼の俎板(おにのせっちん、おにのまないた) 7世紀後半
となった。なんだか、亀石が最初って感じは、わかるけど、、あとは、、
いかがでしょうか? 笑
今回は、飛鳥の石造物をいくつか取り上げて、その製作年代を考えてみた。
また、飛鳥にカメラ持って出かけたくなった。